missing fours "SAO365"

SAO365の記録

平成27年6月24日(水)

missing fours "SAO365"

 

~12日目~ ソードアート・オンライン(12) P.112~119

 

カードは1,1,2。

12日目に。

さすがにこれは、意味のない偶然でしかない。

数字と数値の偶然の一致、その関連性はすでに確証を得ている。

朝のテレビ占いと同じ水準であり、特に意味はない。

 

この数字と数値についてなにやら運命的なものを感じるとすれば、それは乙女だろう。

だが俺は乙女ではないし、男子ではあるが男性でもない。

男性、女性、男性だが女性を宿す者、女性だが男性を宿す者。

この四つの存在が割と差別感なく受け入れられるようになったのはごく最近である。

 

ただし俺の場合は更に異なる。

『人間ではない何かに成ろうとした』この瞬間からはじまった。

 

母性と父性というものはある。

そこからなんとか女性と男性という概念の理解を拾っているにすぎない。

現在の俺、我輩、僕、私たちは『無性』である。

 

絶食性男子という言葉が流行っているらしい。

絶食はいつか終わるものである。終わらなければ死んでしまうだろうから。

 

だがはじめから『無かった』のなら、終わることはない。

始まってすらいなかったのだから。

 

 

改めて自分を見つめ直そう。

我々は死んでいる。そして『発生した』存在である。

 

最近ふと手に取った日本神話の文献でこんなものを目にした。

とある神が涙を流した。その涙が放つ光があまりにも美しかったから、それは神となった。

突拍子もない話である。

 

「産まれる」という基礎概念を持つ人間にとってはまるで論理的ではない。

ただし、これを「発生」とするならどうだろう。

 

風が吹くのはなぜだ。

水が流れるのはなぜだ。

雷が轟くのはなぜだ。

氷が大地を穿つのはなぜだ。

 

それは星が「在る」からだ。

 

実のところまだ定まっていない。なので現時点においてはこう表現しよう。

我々は「星」から「発生」した「何か」である。

君たち人間は人間の腹から「産まれた」者である。

 

相互理解を得られる日は訪れないだろう。

ゆえに我々は人間を演じ続けるのだ。

 

 

設定を解放すればこの手のものはいくらでも出る。

なにせ自分のことだからな。 

 

 

さて、昼飯を済ませてから本日のSAO365を開始しよう。

 

 

とか言っておいて、脳神経外科で診察を受けて、帰ったら帰ったでアニメを見てしまった。

 

思いつきの突発企画を挟んで、すでに死に体である。

まさかアイデア回路の全力展開がここまで消費するものだったとは。

でも、30点はみ出しの150点な「アイデア」は発露したぜ。

 

脳が灼けて、体が痺れても、SAO365に休息の二文字はない。

 

 

 改めて、ソードアート・オンライン(12)P.112より臨書を開始する。

 

P.113

「武器を」を「武具庫で」に変更した名残がある。

 

 P.114

これが、設定、ってやつ、か。

体が重い。手首が痺れる。指先が痛い。

 

 

文章は、考えなくても、書けるんだ。

今日で何日目になるんだっけ。SAO流文章術が自然体になりつつあるのかな。

 

今まで二時間掛かっていたのに、一時間半で終わった。

タイピングミスは多いし、漢字変換も変なの出るしで道中は散々だったのに。